ジャニー喜多川
ジャニーズ ジャニー喜多川のホモセクハラ疑惑
ジャニーきたがわ、Johnny H. Kitagawa, 本名: 喜多川 擴(きたがわ ひろむ)
(1931年10月23日 - )
■裁判 (Wiki)
1999年、『週刊文春』がジャニーズ事務所に関する特集記事を掲載し、ジャニーが所属タレントに対して同性愛行為を行い、事務所では未成年所属タレントの喫煙などがあると報道した。これに対しジャニー側は記事が名誉毀損であるとして、文春に対し1億円あまりの損害賠償を求める民事訴訟を起こした。
2002年3月27日の一審判決では、ジャニー側が勝訴し、東京地裁は文春側に880万円の損害賠償を命じた(井上哲男裁判長)。文春側はこれを不服として東京高裁に控訴した。
2003年7月15日の二審判決では、ジャニー側の同性愛行為を認定した(矢崎秀一裁判長)。このため同性愛部分の勝訴は取り消され、損害賠償額は120万円に減額された。ジャニー側は損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、2004年2月24日に棄却され(藤田宙靖裁判長)、120万円の損害賠償と同性愛行為の認定が確定した。
■性癖&過去の告発
・少年の精液を飲んで生きる「吸精鬼」と呼ばれる。とにかく若い美少年の精液を飲むのが趣味。
・1962年に採取のグループである「ジャニーズ」が結成されたが、もともとは池袋西口にある芸能プロダクション「新芸能学院(現名和プロダクション)」に籍を置いていて、ジャニーは彼らのマネージャーだった。
・ジャニーズメンバーの一人、中谷良の告白(『ジャニーズの逆襲』データハウス刊)によると、彼らはジャニーが監督をしていた少年野球チームの子供たちで、当時は小学生。その頃から、彼らの性器をもてあそぶなど性的虐待を繰り返し、彼らをてなづけていた。
・その後、彼らにアイドル性をみたジャニーが芸能事務所に入れたが、彼らが売れるとその事務所から勝手に連れ出し独立させ、1962年にジャニーズ事務所を創業。1975年1月になって正式に株式会社として法人登記される。
・その時、新芸能学院(元)の社長が、ジャニーに対し、「所属中の授業料やスタジオ使用料、宿泊費、会費」の未払いを東京地裁に訴えた。その裁判中の証言により、「ジャニーは同性愛者であり、事務所に所属する男性タレントに対してセクハラ、及び同性愛の強要を行っている」と言うことが暴露され、多くの週刊誌の話題に上った。
・1970年代にも、ジャニーの性的虐待行為は取り沙汰されるが、その間、アイドルを次々と輩出し、ビッグになっていったジャニーズ事務所は、それらの醜聞をものとせず、自分の見つけてきたアイドル候補生には全て儀式として、ホモ行為を強要していた
・1981年以降、月刊誌『噂の眞相』がこの問題を数十回取り上げており、元所属タレントであるフォーリーブスの北公次も、『光GENJIへ』(データハウス、1988年刊)では、ジャニーとの愛人関係、及び薬物中毒の件など告発している・
・1999年には、『週刊文春』がジャニーズ事務所に関する特集記事を掲載し、ジャニーが所属タレントに対してセクハラ・児童虐待を行い、事務所では未成年所属タレントの喫煙などがあると報道した。これに対してジャニー側は、名誉毀損であるとして文春を訴え、1億円あまりの損害賠償を求める民事訴訟を起こした。
・2000年4月13日には、自民党衆議院議員・坂上善秀(現・宝塚市長)がこの芸能事務所による児童虐待問題を衆議院で取り上げたが、国会で問題になっても警察の動きはなく、ジャニーズ事務所の警察や政界との癒着がささやかれている。
・2003年7月15日の二審判決では、ジャニー側のセクハラ行為を事実と認定した。これによりセクハラ部分の勝訴は取り消され、損害賠償額は120万円に減額された。ジャニー側は損害賠償を不服として最高裁に上告したが、2004年2月24日に棄却され、120万円の損害賠償とセクハラ行為の認定が確定した。
・しかし、その後も、元ジャニーズジュニアによる、ジャニーの性的虐待顕在の証言が相次いでいるため、少年愛者の世界では、ジャニーほどの幸せなやつはいないと言われている。自分の好きなローティーンの美少年をこの40年以上、何千人も喰ってこられて、何のお咎めなしで生きているからである。
■手口
・元アイドル、元ジュニアたち、数百人の証言をまとめると次の手順に成る。
①ジャニーがオーディションを自ら行う。
②気に入った少年に直接声をかけ、まずは合宿所と呼ばれるジャニーの美少年の館に誘う。
③そこでは、現アイドルも住んでいるため、少年たちは安心して、数人で合宿する。
④ジャニーとその豪華なマンションにある大きなバブルバスに入り、全身を丁寧に洗われ、そのときすでに性器ペッティング、または、アナルに指を挿入される。
⑤ベッドを並べて大部屋で寝ていると、ジャニーが深夜におしぼりを手に入ってきて、そこにいる全員の性器をフェラチオしにくる。これが初体験。
⑥さらに気に入られた少年は、ジャニーにアナルセックスを強要され、ネコ役、タチ役、どちらも行われるが、これまでを耐えないとデビューへの道は閉ざされる。拒否をすれば「ユーはもう来なくていい」の一言で、首を斬られ、二度と芸能界への道はない。
⑦デビューしても、お気に入りの少年は、常にジャニーと合宿所で生活させられる。
⑧デビューしたアイドルで、ジャニーの毒牙にかかっていないものはいないが、芸能界で生きていくにはこれを告白するわけには行かず、誰もが口を閉ざす。告白したものは、芸能界を追放される。また、その秘密を盾にジャニー自身も何度か脅迫されている。
・これほどまでに明らかな犯罪、児童虐待、性的虐待であるにもかかわらず、警察の上層部との絡み、政界の黒幕である中曽根康弘との関係により、ジャニーは今でも元気に、少年を陵辱し続ける。
・ジャパン・スケプティクスの機関紙『NEWSLETTER 53号』や『ニューヨーク・タイムス』『オブザーバー』などの海外メディアでもこの問題は大々的に取り上げられ、これをタブー視するなどして報道しない日本のマスメディアの姿勢を批判した。
■メディアの沈黙
何をいまさら…かもしれないが
ジャニー喜多川のセクハラ行為は99年裁判で認定されている。
ジャニーズ側が「週刊文春」に対し、
1億円あまりの損害賠償を求める訴訟を起こした。
しかし、「真実性の抗弁が認められる」とされ、
最高裁ではジャニーズ側の上告は棄却され、事実上ジャニーズの敗訴となった。
このことはマスコミが圧力をおそれ、一部の新聞でしか報道されていない。
テレビに至っては、民放だけではなくNHKでさえも、数字の取れるタレントを多く抱えるタレント事務所に関しての不祥事は沈黙している。
ジャニー喜多川も現在は70歳を超えて流石に昔のような勢いは無いと思うが、性癖は変わりようが無い。
【ジャニーズの不祥事隠しか!?】ニコニコ動画でジャニーズ関連の動画が大量削除される
ジャニーズのアイドルユニット「嵐」の大野智の「大麻で3P疑惑」に関するニコニコ動画のデータが、著作件違反に該当しないのに、ジャニーズ関連企業「株式会社アートバンク」の圧力によって削除される。
■関連書籍

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1999年、『週刊文春』がジャニーズ事務所に関する特集記事を掲載し、ジャニーが所属タレントに対して同性愛行為を行い、事務所では未成年所属タレントの喫煙などがあると報道した。これに対しジャニー側は記事が名誉毀損であるとして、文春に対し1億円あまりの損害賠償を求める民事訴訟を起こした。
2002年3月27日の一審判決では、ジャニー側が勝訴し、東京地裁は文春側に880万円の損害賠償を命じた(井上哲男裁判長)。文春側はこれを不服として東京高裁に控訴した。
2003年7月15日の二審判決では、ジャニー側の同性愛行為を認定した(矢崎秀一裁判長)。このため同性愛部分の勝訴は取り消され、損害賠償額は120万円に減額された。ジャニー側は損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、2004年2月24日に棄却され(藤田宙靖裁判長)、120万円の損害賠償と同性愛行為の認定が確定した。
■性癖&過去の告発
・少年の精液を飲んで生きる「吸精鬼」と呼ばれる。とにかく若い美少年の精液を飲むのが趣味。
・1962年に採取のグループである「ジャニーズ」が結成されたが、もともとは池袋西口にある芸能プロダクション「新芸能学院(現名和プロダクション)」に籍を置いていて、ジャニーは彼らのマネージャーだった。
・ジャニーズメンバーの一人、中谷良の告白(『ジャニーズの逆襲』データハウス刊)によると、彼らはジャニーが監督をしていた少年野球チームの子供たちで、当時は小学生。その頃から、彼らの性器をもてあそぶなど性的虐待を繰り返し、彼らをてなづけていた。
・その後、彼らにアイドル性をみたジャニーが芸能事務所に入れたが、彼らが売れるとその事務所から勝手に連れ出し独立させ、1962年にジャニーズ事務所を創業。1975年1月になって正式に株式会社として法人登記される。
・その時、新芸能学院(元)の社長が、ジャニーに対し、「所属中の授業料やスタジオ使用料、宿泊費、会費」の未払いを東京地裁に訴えた。その裁判中の証言により、「ジャニーは同性愛者であり、事務所に所属する男性タレントに対してセクハラ、及び同性愛の強要を行っている」と言うことが暴露され、多くの週刊誌の話題に上った。
・1970年代にも、ジャニーの性的虐待行為は取り沙汰されるが、その間、アイドルを次々と輩出し、ビッグになっていったジャニーズ事務所は、それらの醜聞をものとせず、自分の見つけてきたアイドル候補生には全て儀式として、ホモ行為を強要していた
・1981年以降、月刊誌『噂の眞相』がこの問題を数十回取り上げており、元所属タレントであるフォーリーブスの北公次も、『光GENJIへ』(データハウス、1988年刊)では、ジャニーとの愛人関係、及び薬物中毒の件など告発している・
・1999年には、『週刊文春』がジャニーズ事務所に関する特集記事を掲載し、ジャニーが所属タレントに対してセクハラ・児童虐待を行い、事務所では未成年所属タレントの喫煙などがあると報道した。これに対してジャニー側は、名誉毀損であるとして文春を訴え、1億円あまりの損害賠償を求める民事訴訟を起こした。
・2000年4月13日には、自民党衆議院議員・坂上善秀(現・宝塚市長)がこの芸能事務所による児童虐待問題を衆議院で取り上げたが、国会で問題になっても警察の動きはなく、ジャニーズ事務所の警察や政界との癒着がささやかれている。
・2003年7月15日の二審判決では、ジャニー側のセクハラ行為を事実と認定した。これによりセクハラ部分の勝訴は取り消され、損害賠償額は120万円に減額された。ジャニー側は損害賠償を不服として最高裁に上告したが、2004年2月24日に棄却され、120万円の損害賠償とセクハラ行為の認定が確定した。
・しかし、その後も、元ジャニーズジュニアによる、ジャニーの性的虐待顕在の証言が相次いでいるため、少年愛者の世界では、ジャニーほどの幸せなやつはいないと言われている。自分の好きなローティーンの美少年をこの40年以上、何千人も喰ってこられて、何のお咎めなしで生きているからである。
■手口
・元アイドル、元ジュニアたち、数百人の証言をまとめると次の手順に成る。
①ジャニーがオーディションを自ら行う。
②気に入った少年に直接声をかけ、まずは合宿所と呼ばれるジャニーの美少年の館に誘う。
③そこでは、現アイドルも住んでいるため、少年たちは安心して、数人で合宿する。
④ジャニーとその豪華なマンションにある大きなバブルバスに入り、全身を丁寧に洗われ、そのときすでに性器ペッティング、または、アナルに指を挿入される。
⑤ベッドを並べて大部屋で寝ていると、ジャニーが深夜におしぼりを手に入ってきて、そこにいる全員の性器をフェラチオしにくる。これが初体験。
⑥さらに気に入られた少年は、ジャニーにアナルセックスを強要され、ネコ役、タチ役、どちらも行われるが、これまでを耐えないとデビューへの道は閉ざされる。拒否をすれば「ユーはもう来なくていい」の一言で、首を斬られ、二度と芸能界への道はない。
⑦デビューしても、お気に入りの少年は、常にジャニーと合宿所で生活させられる。
⑧デビューしたアイドルで、ジャニーの毒牙にかかっていないものはいないが、芸能界で生きていくにはこれを告白するわけには行かず、誰もが口を閉ざす。告白したものは、芸能界を追放される。また、その秘密を盾にジャニー自身も何度か脅迫されている。
・これほどまでに明らかな犯罪、児童虐待、性的虐待であるにもかかわらず、警察の上層部との絡み、政界の黒幕である中曽根康弘との関係により、ジャニーは今でも元気に、少年を陵辱し続ける。
・ジャパン・スケプティクスの機関紙『NEWSLETTER 53号』や『ニューヨーク・タイムス』『オブザーバー』などの海外メディアでもこの問題は大々的に取り上げられ、これをタブー視するなどして報道しない日本のマスメディアの姿勢を批判した。
■メディアの沈黙
何をいまさら…かもしれないが
ジャニー喜多川のセクハラ行為は99年裁判で認定されている。
ジャニーズ側が「週刊文春」に対し、
1億円あまりの損害賠償を求める訴訟を起こした。
しかし、「真実性の抗弁が認められる」とされ、
最高裁ではジャニーズ側の上告は棄却され、事実上ジャニーズの敗訴となった。
このことはマスコミが圧力をおそれ、一部の新聞でしか報道されていない。
テレビに至っては、民放だけではなくNHKでさえも、数字の取れるタレントを多く抱えるタレント事務所に関しての不祥事は沈黙している。
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